耳が遠くなると認知症になりやすい
そうかーーと納得
だって夫はたぶん耳が悪いんだと思う
だからと言って耳の治療はしていない
認知症はヤバイんでないのって思っている
先ずね・・・大きく言うと色々な事を忘れている。
そして耳も・・私が何か言うと「ん?」と聞く
二回くらい必ず聞いてくる
私の活舌が悪いのだろうかって思った。
でも違う・・・夫の耳が悪い
そして理解力も確実になくなった。
先日の火事の事だって、「ここはあそこだよ」って詳しく説明した
ニュースで見る度に同じことを言う私
そして3回目「ここは。。。市営住宅のあたりかな」だって
何言ってんのあんた!!
どこに市営があるんじゃ。。。(ここは心の声)
小学校の裏側で元ドラックストアーがあり、
今は老人の〇〇センターがあって・・・アレコレと説明した
そして最後に私、この話3回もしたよって言ってやった。
もうこんなんばっかり
この間、早口で私が何か言う
そしたらまた「ん?」って聞き返すから
「いやいいわ」と言った
ムカついたのか「いいなら聞くな」と言ってきた
でもさ、私は毎回同じことを2度3度と言わされているんだよ。
話しかけても聞こえないのか無視しているのか答えない夫に
うんざりする。
こうして物事に関心がなくなり、何回も聞いた話を聞かされ
誰も話をしなくなるんだよ。
テレビを付けたら文句ばっかり言ってるし・・・。
「トップガン マーヴェリック」が観たいと言うから見た
人気NO1の映画だったらしいけど・・・・私の好みではなかった
トムクルーズは好きだけどトップガンは・・真剣に見てない
で夫なんですが、吹き替えで観ました
戦闘機の音が大きすぎて五月蠅いなんてもんじゃない
あまりに五月蠅いので字幕にしようと言った
そしてボリュームを少し下げてもらおうかと思った。
しかしボリュームは若干下がった程度で相変わらず五月蠅い
どのくらい五月蠅いかと言うと、
最初から最後まで戦闘機のシーンだったような・・・
私はまともに観ていないから分かんないんだけど、
夫はずっとそのままの音量で観ていた。
上でリモートで仕事をしている娘も我慢できなくなった。
私もずっと堪えていたさ
夫「んふふ」と言うだけ
無反応な奴・・・腹立つわ
道の駅おとふけに「なつぞら」の世界があった
実父の7回忌です。
音更にある道の駅は今年できたばかりらしい
ここにNHK朝ドラ「なつぞら」のロケセットがあった。
ただし・・天陽くんの家とか納屋は帯広市内の
真鍋庭園にある。
しまったぁ・・・そこも行けば良かった。
お菓子屋「雪月」
店内の様子・・・ドラマのままだぁ~
ここで和菓子が本当に売られていました。
なつ(しばた牧場)の母屋・サイロ・納屋
子供のなつが初めて子牛の出産シーンをリアルに再現した時の牛
えっ・・・リアル
これ作り物です
所がテレビでは本物の牛のように見せるんですよ
すごいなぁ・・・。
ここは何でしょう?
母屋の玄関横にあった工具置き場かな
今回の十勝行きは最初に書いた実父の7回忌
きょうだい5人集まり、夜は十勝川温泉に一泊
時間の許す限りまで酒を飲みわいわい話し混む
子供の頃の写真を持ってきた兄
母親は生きていたら90歳を越えているか?
旧姓の名前しか知らないから探せない
これはプロを頼まないとダメかも
兄の母親は連れて離縁されたんだけど、子供は返せと言われた。
泣く泣く返したがすぐに養子に出される。
養子に出すぐらいなら返せなんて言わなければいいのに・・・
誰が悪い(笑)
「それは婆ちゃんのイジメでしょ」と一同笑いながら納得
こわーい婆さんが思いのままにしていたらしいから。
でもね
やっと自分のルーツを知ることが出来た。
富山から留萌あたりに入植する
そして名寄に行ったけど上手くいかず十勝までやって来た
私から数えたら3代前あたりだろうか。。。
色々な話が聞けた
そして娘の左利きの遺伝子は・・・
実は怖い婆さんだったと言う事が判明した
兄の母親とそれぞれ
クリエイティブスタジオで行われた
十勝から3人+1と我が家は3人が聴きに行く
ライブの後の打ち上げにも参加させて頂いた
私の兄妹は5人
父が1人に母は3人です
私は22歳の時に父側の戸籍を見てその事を知った
兄と私は養子に出されている
そして3人目の嫁とその子供が3人
この人達とは出会う事はないと思っていた
それが実父が亡くなり一周忌の法要で顔を合わせる事が出来た。
60歳を過ぎた私にやっと兄妹が出来た
あれから5年目
年に数回だけど会って楽しくやっている
「幸せだね」って妹が言う
ホントにそう思う
こんな歳になってしまったけど、半分だけど血が繋がっている
この「血が繋がっている」と言う事・・・
ずっと養女として育ってきた私にとって、
すっごく嬉しい事なんです
私の実母は・・・これも運命としか言いようがない
会うべき人は探さなくても自然に会えるものだと思った
産みの母は私が娘を産んだ産婦人科にいた
そこで働いていた
しかし年賀状は書くがそこまでの関係でいる
兄は
兄の母は分らない
兄は育ての母親が2年前くらいに亡くなった
そして戸籍を取り寄せてみたが・・・不明
多分再婚をしているだろうから苗字が分からない
兄嫁がこっそり教えてくれた
「この間ね、新聞の死亡欄を見ていたら
同じ名前の人が出ていた。歳もそれぐらいで・・・
黙ってずっとその名前を見つめていた」と言う
もしかしてその名前は兄の母だったのかも知れない
「生きていても今更、会いたいとは思っていないかも」って
兄は言う
「そんなことないよ・・・
親はずっと会いたいと思っているって」と私
その言葉に兄はホッとしていたけど・・・
年齢的に90は越えていると思う
きっとずっと兄の事を心に秘めて生きていた筈
何とか消息が分ればいいと思うけど、何の手掛かりもない。
そしてこの罪作りな実父
3人も嫁をもらったくせに誰1人愛していなかった
結婚できなかった最初の女性をずっと好きだったらしいですよ
怖い性格の父の母親が猛反対で結婚できなかった
その怖い母親が気に入って連れて来た兄の母はいびり出された
私の母親も同じ
三番目の嫁さんも耐えに耐えて・・・
もし私もここで離婚したら自分の産んだ子も
よそに出されてしまうと思いひたすら耐えたそうです
この怖い婆さんのいびりは壮絶だったそうです